ぼくら 共犯者同盟

 

  体育館の裏から、女の子の悲鳴が聞こえた。「キャー」という叫びではあるが、あまり切羽つまった響きではない。

 どこかあきらめたお義理であげているような悲鳴。

「またやってんな、あいつら」

  体育倉庫の扉を閉めながら高志が言った。機械的な悲鳴と高志の無関心な口調に、太一は眉をしかめた。

 どんなに慣れっこになっていることでも、許せることと許せないことがある。

「先、教室戻っといて。ちょっと見てくる」

 高志は不審げな顔をしたが、止めもしなかった。

 体育館裏、プールへの通路の渡り廊下で、クラスの女子たちがホースを使って溝掃除をしていた。

 が、それは表向きのことで、実際にしていたのは「水かけ遊び」だ。標的は佐藤友美という小柄な女の子で、

 彼女はいつもどんな時でも悲鳴をあげさせられる側だった。 活発で美人でクラスの「女王様」的存在の

 小橋祐子を中心に五人ほどが、二本のホースを交代で持ち、逃げ回る友美に水をかけている。

 たった一人、学級委員の石川雪恵だけが水かけに加わりもせず止めもせず、じっと体育館横の

 階段に座ってその光景をながめていた。

「おい、お前ら! そうじせんと何やっとんねん!」

 太一の声に、女子たちの動きがぴたりと止まった。祐子は頬を少し赤く染めながら、太一をにらんだ。

「源くんこそ、そうじもう済んだん?」

「済んだよ。ほかのとこもみんな済んでんねんから、弱い者いじめしてるヒマあるんやったら、ええかげんに片付けたらどうや」

 クラスの−−というより全校の女の子たちに人気のある児童会長の源太一に言われては、

 女子たちも従わないわけにいかない。皆うつむいたままホースを巻き取り、そそくさと教室に戻っていく。

 駆けていく女子たちの背を見送っていた太一の前に、雪恵が立っていた。

 いつも目立たないメリハリの少ない顔が、珍しく怒りで赤く染まっている。

「源くんの、おせっかい!」

「え?」

「男のくせにおせっかい焼かんといて。あんな言い方したら、友美これからもっとひどくいじめられてまうわ」

「なんでやねん。ぼくは、いじめてるんを止めただけやで……」

 弱い者いじめをやめさせて、どうして怒られなきゃいけないんだ? 太一には、なぜ怒られているのか理解不可能だった。

「源くんみたいに、正義の味方やってられる人はええわよ。けど、いじめられる方はね、

 ちょっとくらい痛い目にあってでも、おべっかつかってでも、少しでも傷つかへん方法を

 自分で選んでるの。それを勝手にぶちこわさんといてって言うてるの!」

 言葉を太一にぶっつけるようにして、雪恵はそう言った。そして、くせっ毛のおさげを振り回して

 背を向けると、そのまま走り去ってしまった。

「ちょ、ちょっと待てよぉ……」

 一人とり残された太一は、わけがわからないまましばらく立ちつくしていた。

 

 翌日の昼休み。

 校庭でドッヂボールをしていた太一は、なんとなく石川雪恵の姿を目で追っていた。

 クラスの女子たちもドッヂに夢中になっている中で、雪恵は相変わらず脇に立って見ていた。

 そう言えば、体育の授業を見学していることも多かったような気がする。勉強の方は太一に

 負けず劣らず良く出来る雪恵だったが、なんだか地味で目立たないのは、体が弱いせいもあったかもしれない。

 雪恵を見ているうちに、太一は女子のドッヂの輪の中の異変に気付いた。

 明らかにみんな、友美を狙いうちにしている。そして友美が外に出ると、いつもあからさまにバカにしている

 運動神経の鈍い友美のボールをわざと受けそこなって友美を中に戻し、また皆が全力で彼女にボールをぶつけるのだ。

 やめろ!……と、のどまで出かかった言葉を太一は飲み込んだ。今はまだ誰も、

 ドッヂボールのルールに違反したことはしていない。わざと友美ばかり狙っているとも、

 わざと友美の球を受けそこねているとも、誰にも断言できないのだ。

 太一の視線に気付いた雪恵は、冷たいまなざしを返してきた。

「おせっかいっていった意味わかった?」と言わんばかりの視線に、太一は思わず力まかせにドッチボールをけり飛ばした。

 

 それから数日たった放課後。

 クラブ活動をしている五・六年生のほか、ほとんどの生徒はすでに下校している。

 太一は音楽クラブに入っていたが、その日は先生が出張なのをうっかりして一人音楽室で待っている、

 という大失敗をしてしまっていた。

 中途半端な時間に人気の無い玄関に下りてきた時、太一はクラスの靴箱の所にあやしい人影を見つけた。

 そっと柱の陰からのぞくと、石川雪恵が小橋祐子の靴箱に何かを入れているところだった。

 −−ラブレター……ってことはないよなぁ、女同志やし……−−

 雪恵が足早に駆け去った後、太一は左右を素早く見回してから祐子の靴箱を開けてみた。

 中には真っ白な封筒に入った手紙が一通入っていた。

 太一は、また辺りを見回し、のりづけされていない封筒を開いた。

「げっ、なんやこれ?」

 中にも何の模様もない便せんが入っていたのだが、それに書かれている言葉が普通じゃなかった。

 いや、書かれていたのでもない。新聞の見出しや記事に使われている活字を切り抜いて貼ってあるのだ。

 大きさも貼り方も不揃いで、まるで誘拐犯の脅迫状のようだ。

 そして、文面も。

「ヨワイモノ イジメ ヲ ヤメロ。サモナイト オマエニ テンバツガ クダル デ アロウ」

 突然、誰かの手が太一から便せんをひったくった。ハッと目を上げると、いつのまにか雪恵が戻ってきていた。

「どうするつもりよ?」

 雪恵はいきなり聞いた。

「どうするって何が?」

 目を丸くしたまま太一が尋ねると、雪恵はぞっとするようなきつい目でにらみつけた。

「先生に言いつけるかどうか、って聞いてるのよ」

「言わへん言わへん。ちょっと、何かなぁって見てみただけやから」

 太一は顔の前で片手を横に振ってみせた。

 雪恵は少しまだうさん臭そうに太一を見ていたが、手早く便せんを封筒に入れ、元通り靴箱に入れ直した。

 靴箱から振り返ると、雪恵は不意に機嫌の良い笑顔を見せた。

「これで源くんも共犯者やね」

 それは雪恵が今まで見せたことのない、とろけるように楽しそうな笑顔だったので、

 太一はすっかり驚いてしまった。驚きすぎて胸がきゅんとなるくらいに。

「さ、早よ隠れよう、源くん!」

 雪恵は太一のTシャツの袖口をつかんで、玄関外の壁ぎわに連れて行った。

 扉の脇から少し顔を出して様子をうかがっている雪恵。その横にぴたりと寄り添い同じように中を伺う

 格好はしていたが、太一の目は靴箱など全く見ていなかった。

 いつも見慣れた男子の顔とはやはり違う、ふっくらした女の子の横顔を間近に見つめ、

 太一の心臓はドキドキ高鳴っていた。今二人は脅迫状を送るという『犯罪』をしている。 なのに、

 雪恵とこうして一緒に息をひそめていることがなんだか楽しくて、太一はずっとここで隠れていたいとさえ思った。

「来たっ!」

 雪恵は小声で鋭くそう叫ぶと、いったん顔を引っ込めた。

 それから、二人してそうっと見つからないよう、また顔を出す。

 靴箱の所までやって来た祐子が、中の手紙を見つけた。とたんに、取り巻きの何人かの女の子が笑いさざめく。

 真っ白い綺麗な封筒をラブレターだと思っているのだ。

 「やあだぁ」と言いながら封筒から便せんを取り出したとたん、祐子の顔色が変わった。

 便せんを落とし、真っ青になってうずくまる。落とした便せんを拾った子が大きな悲鳴をあげ、

 脇から読んだ子たちもキャーキャーと声をあげた。中の一人が職員室に先生を呼びに行ったようだ。

 残った子たちは泣き出した祐子の背中をなでながら、自分たちも泣き顔になっている。

 一連のパニックを観察している雪恵の横顔は、このうえなく楽しそうだった。

「そろそろ帰ろ、源くん」

 まだ祐子たちが右往左往しているのに、雪恵は振り向いて平然とそう言った。

「え、どうなるんか、見んでええのん?」

「ええの。あとどうなるんか想像つくもん。先生呼んできて、犯人さがして、家まで送ってもろて……

 だいたいそんな感じやん。見つからんうちに、帰ったほうがかしこいわ」

「おまえ……石川って、変わってんなぁ」

 太一は感心したように言った。

「ありがとう」

 変わってると言われて、雪恵はまた満足げにほほえんだ。そして、小さくバイバイと手を振ると、

 太一の帰路とは逆の正門に向かって足早に駆けて行った。

 

 翌朝。

 一時間目、大切な算数の時間をつぶして、先生は黒板に大きく『話し合いの時間』と書いた。

「おい太一、知ってるか。きのうな、小橋とこに誘拐の予告状来たんやで。

 あいつ誘拐犯が怖わーて帰られへんかって、先生にうちまで送ってもろてんでー」

「へぇーっ、ほんまにぃー」

 前の席の高志が振り返って言った。いつのまにか話が大きくなっているので、太一はなんだかおかしくて笑ってしまった。

「静かに! 私語はやめなさい」

 パンパンと手を叩く音に、ざわついていた生徒たちはきちっと前を向く。学年主任で何事にも

 ケジメをつけたがる住吉先生が、教壇の上からにらみをきかせていた。

「知っとる者も多いようだが、きのう小橋の靴箱に悪質な脅迫状が入れられていた。

 念のため警察にも来てもらったが、たぶん子供のいたずらやろう、ということだ。誰か、心当たりのある者、

 または昨日何か不審な人物を見かけた者があれば、すぐ名乗り出なさい」

 教室はシーンと静まり返った。いわゆる、針が落ちても響く静けさ、というやつだ。

 じっと下を向いたままの者もいれば、誰か何か言い出さないかなぁと、辺りを見回す者もいる。

 誰も何も言わないまま、じわじわ数分が経ってゆく。

「その脅迫状によると、クラスに『いじめ』があるような指摘もある。それについても、何か知ってることはないか?」

 ゆっくりと廊下側から窓側まで視線を滑らせながら、先生は少し穏やかな口調で言った。

 『いじめ』という言葉に、数人の生徒が佐藤友美の方をちらりと見た。

「何か知ってることはないかな。ん? 佐藤、なにか昨日見たりしてないか?」

 名前を呼ばれて友美は自分の席で、細い肩を一層細く縮み上がっていた。

 クラスみんな、友美が何か返事をするのを待っていた。友美が何も言わないままだと、

 この『話し合い』はいつまで続くか見当もつかないのだ。

 太一は何か喉の奥の方がイガイガするような気がして、大きな咳払いをした。

 いや、喉じゃなく胃の奥の方から込み上げて来るこのイガイガは、咳をしたっておさまりはしない。

 太一は後ろの席で震えている友美を振り返り、もう一度今度は小さく咳をした。

 深呼吸して立ち上がり、大きな声で、

「せんせえっ!」

「なんだ? 源」

「ぼくがやったんです、あの脅迫状」

 一瞬の沈黙のあと、クラス中ハチの巣をつついたような大騒ぎになった。

「うそやろー」「マジかよぉ」と口々に言う男子たち。祐子と周りの女子たちは、信じられないという表情で首を振る。

「えーとその……脅迫状の犯人を見た、ということやな、源」

「違います、ぼくが犯人や、って言うてるんです」

 住吉先生の顔が首筋のあたりから真っ赤になっていく。大きく目を見開いて、何か言おうと口を開いた時、

「違うんです。犯人はわたしです」

 太一の斜め後ろの席から声がした。おとなしい学級委員の石川雪恵が立ち上がっていたので、

 クラスの騒ぎはいっそう大きくなった。

「い、石川まで……。ふざけるのもいいかげんにしろ。お前たちが、あんないたずらをやるわけないやろ!」

「わたしはふざけてないし、あれはいたずらじゃありません。弱い者いじめばかりしてる人も、

 たまには自分も怖い目に会うたらええと思たんです」

 雪恵はぴんと背筋を伸ばし前を見すえて、大きくはないがよく透る声で言った。

「……ほんまに、石川がやったんか?」

 雪恵の真剣な口調に、住吉先生も少し落ち着きを取り戻した。が、まだ事態をかき乱そうとする奴がいた。

「ちゃうって、石川さんがそんないたずらするわけないやん。ぼくが、ちょっとふざけてやったんです」

「源くん、今なに聞いてたのん? わたし、ふざけてへんって言うたでしょ。こんなん余計なおせっかいやわ」

「おせっかいやてぇ  また、それかよぉ。きのうは『共犯者やね』って言うとったのに、今さら、そんな言い方ありかよ」

「自分から名乗り出るやなんて、こんなマヌケな共犯者なんて、いらんかったわ」

「そんなん言うたかて、みーんな黙ってたら永遠に時間止まってまいそうやったやないか。犯人見つかるしか、収拾つけへんし」

 二人の言い争いを聞いていた住吉先生の堪忍袋の緒が、ついに切れた。

「もう、ええ! 源と石川の話は後で職員室で聞くことにする。とりあえず『自分らが犯人や』て

 言い張っとるんやから、一時間廊下に立って反省しとけ」

 理屈に合ってるのか理不尽なのかよく分からない『お裁き』だったが、当の本人たちは素直に

 席を立って廊下に移動して行った。

 

 校庭に面した廊下の窓に向かい、教室の壁を背にして、六年一組の学級委員と児童会長が立たされている。

 五十センチほど間隔を空けて立ち、二人はすました顔で正面の窓をじっと見ていた。

 怒ったように真面目を演じ切っている太一の顔が、よく磨かれた窓ガラスに映っているのに気づいて、

 雪恵はこらえ切れずに吹き出した。

「なんやねん?」

 口をとがらせて太一が雪恵の方を見る。ほとんど同じ背丈の雪恵の頬には、いたずらっぽいエクボが刻まれていた。

「ごめんね。悪事に加担させて、巻き込んでしもて」

 謝っているけれど、雪恵の表情は心から悪いとは思っていない顔だった。

 太一も、全然巻き込まれたなんて思っていないし、まして悪事に加担したなんて爪の先ほども思っていない。

「けど、なんであんなことしたん? 脅迫状はちょっとやりすぎやったかもな」

「うん……。もうちょっと、なんかいい方法考えついたら良かったなあ、ってわたしも思う。

 けど、なんでもええから何かやってみたかったの……」

 雪恵はしばらく、うつむき加減で口をつぐんでいた。

「わたし、三年の頃……転校してきたばっかりの頃、よくいじめられてたんよ。

 体弱いし、あんまりよう喋れんかったし。今のクラスでは友美ちゃんばっかりいじめられてるけど、

 それがいつか『わたし』に変わるんちゃうかと思うと、時々すごい不安になるの」

 雪恵は顔を上げ、さっき先生に対した時のように、きっぱりと言った。

「いじめられてたりすると、よく『今はつらいけど、一生のうちでは一瞬のことです』とか言われるやん。

 でも、ほんまに一生のうちの一瞬かもしれんけど、今の六年生の時間は『一度きりしかない今』やと思う」

「なんか、うまく言われへんけどね」と雪恵は、はにかんだ笑みを浮かべて付け足した。

 太一にとっても、雪恵にとっても、友美にも祐子にも、ほかのクラスメートみんなにも、

 今の瞬間は『一度きりしかない今』だ。

 誰にとっても『今』が輝けるものであるように−−そう願う雪恵の精一杯の抵抗が、あの脅迫状だったのだ。

「これで、またいじめられるかもしれんわぁ」 雪恵は少し頬をゆがめて、おどけたように肩をすくめた。

「だいじょうぶ。そしたら、また脅迫状出そうぜ」

「ふふっ、また共犯者になるつもり?」

 雪恵の問いに答え、太一は自信満々の表情で、キザに片目をつぶってみせた。

「もちろん。ぼくら『共犯者同盟』や!」

 にっこりと笑い合う二人の姿が、初夏の風に微かに揺れている窓ガラスに映っていた。

 

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