バレンタインデーに誰かにプレゼントするなんて、何年ぶりだろう。
幼稚園の頃、近所に住んでた男の子にハートチョコをあげて以来だから、七年ぶりってことになるのかな。チョコだけじゃなく手編みのマフラーまでつけるなんてマジな攻撃は、たぶん生まれて初めてだ。
ホントは今年だって、別にお菓子メーカーの陰謀みえみえなバレンタイン商戦に乗っかるつもりなんてなかった。
一月の中頃、人けのない昼休みの教室で自分用の新しいマフラーを編んでたところに、ナオっちが声をかけてきたのが、すべての始まりだった。
「三年生を送る会」で演奏する曲の楽譜のことでうちの教室までたずねてきたはずのナオっち(本名は竹本奈緒、吹奏楽部の一年後輩)が、編み棒からぶらさがっていたモスグリーンのマフラーの編みかけを手にしたとたん、大声をあげた。
「うっそー、つばさ先輩って、めっちゃ編物上手やん。
どうやったらこんな複雑な模様が編めるんですかぁ?」
「複雑ちゃうって、こんなん一番カンタンな市松模様や」
「いちま……何です?」
「市松模様。ホンマは色の違う四角を組み合わせた模様やけど、これは一色の毛糸で編んでるから、表編みと裏編みで模様を作ってるねん。そんなに難しぃないで」
ナオっちは何度も市松模様のマフラーを裏返してながめて、深呼吸みたいに息を大きく吸ってから言った。
「つばさ先輩、そのマフラーの編み方教えてください。バレンタインに間に合うように!」
楽器のレベルアップはすごく速い子なのに、ナオっちの編物レベルはなかなか向上しなかった。表編みをしているつもりが裏編みだった、なんてことは日常茶飯事だし、家に帰って編んでくると必ず編み棒からボロボロ目を落として、マフラーの幅がだんだん細くなっていたりする。
お昼休みに教えるだけじゃ来年のバレンタインにさえ間に合いそうにないので、部活のない日曜にナオっちの家に教えに行ってあげたりもした。
ナオっちに教えながら編むうちに、自分のマフラーはとっくに編みあがってしまい、私は二本目のマフラーを編み始めていた。今度は少し渋いグレーの毛糸で。
バレンタインに間に合うように……ってナオっちが呪文のようにくりかえす言葉を聞きながら編んでたら、いつのまにか心の中に浮かぶようになってきた顔がある。
トロンボーンで金管リーダーをやってる高橋亮平の、ポワーンとした笑顔。
三年の先輩たちが引退するので新役員を決めた時、どういうわけか私に部長なんて責任重いポジションがまわってきた。
おかげで三学期最初からサイアクな毎日が続いてるんだけど、部員みんなから見放されたような一人ぼっちな気分の時でも、亮平が笑顔でうなずいてくれてるのを見ると、ホッとする。
ワンマン部長だって思われたっていい、自分の思うようにやってけばいいんだって思える。
まだ入部したての頃、実は亮平に「付き合ってくれへんか」って告白されたことあったのに、その時は「あんまりパッとしない子やなあ」なんて外見のことばかり考えて断わっちゃったんだ。今じゃ、もったいないことしたなぁって後悔してるけど。
そんなことがあったのに、全然態度変えることもなく今でも気軽に笑いかけてくれる亮平って、ほんっとにいいヤツ。ほとんど生まれて初めてに近いバレンタインのプレゼント、あげる価値じゅうぶんあるよね、あいつなら。
バレンタインの前日、タイムリミットぎりぎりでナオっちのマフラーが編みあがった。
部活が終ってみんな帰ったあとの音楽室で、ほつれてる所がないか最終点検して、とっておきの包装紙で包んで、準備OK。ついでに、お手本として毎日持ち歩いていた私のグレーのマフラーも、ナオっちに包んでもらった。
編物だけは奇跡的に得意なんだけど、ほかに女の子らしいこと何ひとつできない私は、かわいくラッピングできるナオっちがちょっとうらやましい。
この期におよんでもナオっちは、マフラーを贈る相手の名前を明かそうとしなかった。
吹奏楽部の先輩(ってことは私の同輩)の誰か、らしいんだけど
「振られたらあとが恥ずかしいから」って、私にも秘密にしているのだ。
「じゃあ、ナオっちのことは置いてといて、うちの学年の男子で、誰が一番後輩に人気あるん?」
そう尋ねると、意外な答えが返ってきた。
「そりゃ、ダントツで瀬尾先輩です」
「えぇ〜、瀬尾がダントツぅ〜?」
半分ブーイングに近い口調になってしまった。瀬尾文也が一番人気とはね。
同じパートだから一番身近な男子なわけなんだけど、パート練習でちょっと腹筋しただけで「練習キツ過ぎやん」ってブツブツ文句言うかと思えば、私や一年がちょっと合奏で吹き間違えたら、むちゃくちゃこわい目で睨んでくるうっとーしいヤツってイメージしかない。
トランペットはうまいし見た目もまあまあだから、後輩の女子から見たらカッコイイ先輩に見えるのかもしれないけど、実際は嫌味で軟弱でオヤジ臭いヤツなのに。
なんで瀬尾なんかがモテるんや……って思わず口に出してしまいそうになったその時、なんと瀬尾本人が音楽室に入ってきた。しかも、亮平といっしょに。
瀬尾は明らかにナオっちにだけスカした笑顔を見せ、亮平は私たち二人に向かって「よおっ」と軽く片手を上げてほほえんだ。心臓が止まりそうに息苦しくなって、私はマフラーの包みをぐっと抱きしめてた。
と、隣に座っているナオっちも、ガサガサと音を立ててマフラーの包みを握りしめている。
プリーツスカートからハの字に伸びだした長い脚が、かすかに震えてる。
え、じゃあもしかして、ナオっちの好きな人も、みんなと同じく瀬尾だったの?
楽譜か何かを忘れたらしく、ドアのそばの備品棚を探している瀬尾の背中に向かって、ナオっちが悲鳴に近い声をかけた。
「せっ先輩、これ、一日早いけど、受けとってください!」
ガタンと椅子が倒れる音がした。一瞬そっちに気を取られたあと、ドアの方に目を向けると、そこでは信じられない光景が展開していた。まるで飛んでいったみたいな速さでドアの所へ走ってったナオっちが、瀬尾の隣にぼんやり立っている亮平の胸に、あのマフラーの包みを押しつけていたのだ。
亮平は、細い目をせいいっぱい大きく見開いて、口をあんぐり開けたまましばらく固まっていた。
「え? ……これほんま、おれに?」
ナオっちは泣きそうな顔で黙ってうつむいていたけど、頭がかすかに震えるほど大きな深呼吸をしてから、背の高い亮平の顔を見上げた。
「あの、わたし、すっごいヘタクソだから迷惑かもしれないけど、できればそれ、先輩に使ってほしいんです」
亮平はナオっちにそう言われて、あわてて包みをほどいた。中から出てきたのは暖かそうな紺色のマフラー。
ゴツゴツした荒い編目で、はっきりいって見た目は良くないけど、編目の一つ一つにナオっちの心がこもってることを、私はよく知ってる。
だからなんだろうな。マフラーを見て、それからナオっちのことを見た亮平の、今まで私が見たこともないようなとびっきりの笑顔を見ても、いつもの冷静な自分のままでいられたのは。
ただちょっと……ちょっとだけ、胸の奥のほうで何かがじんじんひびいて、体が震えてしまいそうになった。
亮平の「ありがとう。喜んで使わしてもらうよ」という声が聞こえたとき、ぐらぐらと目の前の世界がまわりそうになった。いつのまにか椅子から立ちあがってた私は、倒れないように腕の中にあったフカフカの包みを抱きしめてた。
ふと、じっと私のことを見ている視線に気づいた。怒ったようなこわい顔で、瀬尾がこっちを見てたんだ。
こいつ、親友の亮平が後輩に告白されてる名場面を見ないで、どうして私のことなんか見てるんよ。
睨むように眉をしかめてるけど、よく見ると目つきは全然怒ってない。
いつもよりも優しいまなざしに見えるくらいだ。
もしかして瀬尾、私も亮平が好きやったことわかってて同情なんかしてくれてるわけ?
一瞬のうちに頬がカッと熱くなって、自分でもわけがわからないうちに勝手に体が動き出していた。
瀬尾に話しかけてる自分の声が、どこか遠くから聞こえる気がした。
「これ、ナオっちにつきあって私が編んだん。誰にもあげるあてなんかなかったのに、つい編んでしもて……」
なにしてんやろ私。ガサガサ音たてて、せっかくのかわいい包装紙破って、グレーのマフラー取り出して。
「もったいないから、あんたにやるわ。ほら、吹奏の名物コンビで色違いのマフラーってのもおもろいやん。この色きっと瀬尾に似合うと思……」
違う! きっと亮平に似合うと思って選んだ色やのに。
私は瀬尾の胸にマフラーを投げつけて、音楽室を飛びだした。
校舎から駆けだすと、外はいつのまにか雪になってた。
ほてった頬に雪が降りかかって溶けて、涙の跡みたいになった。胸が痛いくらいじんじんしてるのに、ほんとの涙は一滴も出てこない。でも、涙は出ないのに鼻水は出てくるのが、すごく情けなかった。
「天野! おい、ちょお待てや、つばさ! お前カバン置いたまま帰る気ぃか」
ちょっとあわててるけど、いつも聞きなれてる不機嫌な声に呼びとめられた。
小走りに急いでたはずなのに、もう追いつかれてしまった。瀬尾のしかめっつらが目に浮かぶけど、今は立ち止まりたくない。振り向きたくない。こんなに鼻水ダラダラやのに、ハンカチ忘れてしもてるし。
でも結局は止まらなきゃいけなくなった。学校前の交差点の信号が長いこと赤から変わらない。信号無視してやろうかどうしょうか迷った一瞬のうちに追いつかれた。
私の前に回りこんできた瀬尾が、カバンとマフラーをいきなり投げつけてきた。
鼻水をすすりあげるヒマもなかった。
「鼻水垂らすほど寒いんやったら、ちゃんとマフラー巻いとけよ」
思ったより無表情でぶっきらぼうにそう言うと、瀬尾は背を向けて横断歩道を渡りはじめた。
ずっと赤だった信号がパッと青に変わり、瀬尾は公園ぞいの歩道をほとんど走るような大きな歩幅で遠ざかっていく。
どなられたわけでも睨まれたわけでもなかったぶん、かえって気分が落ち込んだ。
自分のために編んだわけでもないマフラー、投げやりな態度で渡されて嬉しいヤツなんているわけないやん。
きっとものすごくイヤな気分がしたはずなのに、瀬尾は私のバカな行動についてはなにも非難めいたこと言わなかった。
明日、どんな顔して瀬尾と話せばいいんだろ。同じ学年で同じクラスで同じクラブで同じパートで……。もしかしたら、学校にいるあいだで一番顔を合わす時間が多いかもしれないヤツなのに、私の自分勝手な気持ちのせいで傷つけてしまった。あいつは何も悪くなかったのに。
瀬尾の後ろ姿が遠ざかっていくのを見送りながら、私はマフラーをだらりと首から垂らしたまま、トボトボ歩きはじめた。立ち止まったまま雪だるまになってても、なんの解決にもならないから、とりあえず歩くしかない。
あれ? 足早に帰っていったはずの瀬尾の姿が、だんだん大きくなってくる。どういうこと?
公園の入り口にある柱の影をのぞきこむようにかがみこんでた瀬尾が、私が近づいた気配にこっちを振り向いた。
「クゥーン」
と、いきなり瀬尾が甘えた声を出……すわけないか。
振りかえった瀬尾の腕の中では、真っ白いモコモコしたかたまりがうごめいていた。
子犬だ。それも、まだ生まれたてで、目も開いてないような小さいやつ。
「むちゃしよんでー。こんな雪の日に捨てていきよってからに、凍え死んだらどうすんねん」
子犬の背中をなでながら、瀬尾は口をとがらせて言った。
なんとなくオッサン臭いぼやき口調が、なんだかとても懐かしかった。
慎重な手つきで子犬をなでてる指が意外と細くて白いことに、はじめて気がついた。瀬尾がこんなに優しい手を持ってたこと、今まで全然知らなかった。
ぼんやり子犬の背中を見ていたら、瀬尾もずっと真顔で私を見つめていたことに気づいて、ハッと我に帰った。
「ど、どうすんの? 子犬……」
ちゃんとさっきのこと謝りたいって思うのに、どうしても子犬から視線がはずせなくて、それしか言えなかった。
「うちに連れて帰る。マンションやけど猫とか隠れて飼うてる人もいてるから、なんとかなると思う。けど……こいつまだ生まれたてみたいやし、ちゃんと育てれるかなぁ」
瀬尾の言い方に思いっきり疑問符ついてたから、思わず私本来の『おせっかいオバサン』な性格が復活してきた。
「私も小学生のとき捨て犬ひろったことあるから、だいたいのことはわかってるで。団地やからうちでは飼われへんかったけど、公民館の裏に秘密基地作って、飼い主決まるまでクラスのみんなで世話しててん。獣医さんにも診てもらったことあるから、どこ連れてったらええかも知ってるし、わからへんことあったら何でも訊いて」
一気にしゃべったせいで周りに発生した白い霧の中から突然、瀬尾の腕が伸びてきた。心臓がドキンと跳ねた。
「とりあえず、あっためてあげたほうがええんやよな?」
瀬尾は、私の首にかかっていたマフラーをはずして、子犬の体にふんわりと巻きつけた。
瀬尾の制服の黒と子犬のフワフワした白に、グレーのマフラーはとても似合ってる、と私は思った。
『日本児童文学』2001年1.2月号 掲載
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