Sanctus

 サンクトゥス
 (聖なるかな)

  聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の神なる主よ。

  汝が栄光は、天と地に満ち満ちたり。 

 いと高き天に、ホザンナ。

 

   うちのことをだれもが知っていて、しかもほとんどみんながうちのことを愛してくれてるって、
  ほんま、これ以上のしあわせがあるんやろかて、思います。
   ぜんぜん知らない人や、知っててもうちをけいべつしてるのがわかる人たちこと、
  うちは怖かったんです。ほんとうは、ずっとそやったけど、そんなことわからんように明るくふるまってた。
  おばあちゃんに言われたように、泣きそうでも笑ろてたら、そんな気持ちもちょっとはマシやったから。

   そやけど、今はもう、そんな気持ちになることもないねん。
   みんな、うちのことが好きで、うちを信じていっしょに戦おうとしてくれてる。
  うちの笑顔が、みんなの『勇気のもと』で『元気のもと』になるの。

   馬の上から見おろしたら、見渡すかぎりのたくさんの兵隊さんたちや、
  それを取り囲んだたくさんのひとたちが、手をふってうちの名前をさけんでいて、
  胸の奥がぶるぶるふるえて破裂しそうなくらい、うれしかった。
   なにをやってもドンくさくて、ぼさっとするなて言われてばっかりで、
  おばあちゃんに習(な)ろた糸つむぎもなかなかまともに出来へんかった、あのジャンヌが、
  今では『神の御使い』なんよ。信じられる?
   村はずれで逃げた小羊を追いかけていた頃と、うちはなんも変わってへんのに……と思うと
  おかしな気分になります。

   あの頃から、うち、ずっと天使さまとお友だちやもん。
  字が読み書きできるようになったほかは、今かて昔と変わらへん、うちはアホな子です。
   うちが天使さまとお話しできること、信じてもらえただけで、こんなにも全てが
  変わってまうなんて、思いもせんかった。
   このごろは天使さまが、うちの口をとおして直接に神さまのお言葉を伝えてくださることが多くなって、
  ときどき、ほんとうに自分がえらい人になったように思い違いしてしまいそうになったりするけど、
  うちはやっぱり小さなアホな女の子です。
  どんなことがあっても、うちは、おばあちゃん子の泣き虫ジャンヌなんやってこと、忘れたくないと思う。

   うちは、命令して軍隊を動かすふつうの将軍とは違う。
  神さまの御姿をししゅうした旗をかかげて、兵隊さんたちの先頭に立って敵にむかって
  走っていくのが仕事やから。うちのその姿を見て、みんな『元気百倍』なって、
  戦う気力と力がわいてくるんやって。

   でも、勝ちいくさでも、ぎょうさん、人が死んだりケガしたりしています。
  止まらへん血を流しつづけて、苦しみもがきながら死んでしもた兵隊さんを、うち、何人も見ました。
  そんなときには、いくら天使さまの御言葉を伝えることができても、どうにも出来へん。
  なんもしてあげられへん。
   一番はじめのいくさから引きあげるとちゅうの道では、うちはずっと、顔も上げられんと泣いてた。
   悲しみより、憐れみよりも、そんなふうに苦しんでる人たちや、むごたらしい死体を、見るんが
  怖(こわ)かった言うのが、ほんまのとこです。
   そんなんひきょうやって、わかってたけど。ちゃんと見てあげて忘れんようにすることが、
  ほんまは一番その人たちにむくいることになるって、天使さまもうちに言うてくれはった。
  けど、うちは、ちょっとしか顔上げて、見れませんでした。

   天使さまは、ちょっとさびしそうにほほえんで、うちを見おろして言わはった。
  「ジャンヌ。おまえが、ほんとうに強くならなければ、ひとびとをしあわせにみちびくことはできないのだよ」 

   ほっぺた叩かれるより、きつい言葉で全身を張り倒されたような気ぃがした。
  急いで涙をふいて天使さまのお顔を見たら、いつものようにほほえんだ口もとに似合わへん
  きびしい目ぇで、うちを見おろしてはった。
   けど、うちがふるえながらうなずいたのを見ると、天使さまは、またほんまにやさしいまなざしで
  笑わはってから、沈んでいく夕日にとけていくように姿を消していきました。

   おばあちゃん。うち、ほんまに強くなれるやろか?
   ほんまに強い人って、どんな人やろか?
   つらくても逃げない人。悲しいことから目をそらさない人。目標を決めたらあきらめない人……。
  どれもこれも、うちにはなれそうもないように思うけど。
  でも『そうなりたい』っていう前からあきらめたら、きっと天使さまはうちを見放すやろな。
   みんなに慕われる『聖女ジャンヌ』には、うちのほんまの力でなったんとちゃうんやから、
  今度はうちのほんまの努力で、ほんとうに強くなってみたいて、そうも思てるねん。

   まずは、こんだけいくさに勝ちつづけても、なかなかうれしそうな笑顔を見せてくれへん
  王太子さまにガッカリせんと、明日からも元気にみんなの前で笑えるように、
  うちは努力しようと思います。
   ええかげん、あのうっとおしいゆううつ顔にむかついても、
  うちはいつでもにっこり笑ろてあげるって、決めてんから。グチグチ言うのも、もうおしまい。

   おばあちゃん、明日からまたロワールの国境までいって戦うことになったけど、
  元気に行って、帰ってくるさかいね。
  てがみ書くのん、けっこううまなったと思うけど、しばらくは書けませんけど、またね。

≪タイトルページへ≫  ≪(2)にもどる≫  ≪(4)にすすむ≫