Pie  Jesu

ピエ・イエズ
(ああ、イエズスよ)

 めぐみふかき主イエスよ、

 彼等に安息を与え給え。

 永遠の安息を、与え給え。

 

   ああ、まだ全身がふるえてて、ペンを持つ手にも力が入りません。

   きょう、王太子さまの戴冠式がおこなわれたんです。
  きょうの王太子さまのりりしい、ご立派なお姿というたら……いつもの、むっつりぶっちょうづらさんとは、
  まるで別人みたいにステキやったわ。あっと、もう王太子さまとちゃうねんわ。
   きょうからは国王シャルル七世陛下と、お呼びせなあかんのです。

   うちは、式のあいだは、王さまと貴族の方たちの後ろで、ずっと主の御旗を持って
  ひざまずいて待っていました。
   天使さまには負けるけど、おごそかで神々しいお姿の大司教さまが、
  王さまに王冠をさずけはるのを見てると、うち、ポロポロ涙が出てきて止まらんようになってまいました。

   ドンレミイ村で忙しいけど心はのんきに羊を飼っていた頃のこと、
  ヴォークールールの守備隊長さんにはじめて会うたときのこと、
  はじめて王太子さまとお話ししたときのこと、
  オルレアンでのはじめてのいくさ、
  それからずっとずっと続いてきたいくさばかりの毎日のことを、ぐるぐる何度も思い返して、
  うれしいんか悲しいんかわからんようになってしもたんです。

   泣いてるうちに戴冠の儀式がおわってて、ハッと顔を上げたら
  目の前にいてた貴族さんたちの人垣が左右に開いてて、
  奥の玉座に座ってはる王さまのお姿が見えました。
  うち、旗を持ったまま、だぁーって走ってった。
  もしかしたら玉座の間では走ったらあかんかったかもしれへんけど、そんなことどうでもええねん。
  天使さまはなにも御言葉を伝えてくれへんかったけど、
  「ほんとうに自分のしたいようにすればよい」て言うてくれてはるような気がしたから、
  うち、誰よりも早く王さまのもとへ走っていった。

   うちは玉座に座ってはる王さまのおひざにすがりついて、泣きながらいいました。
  「王さま、きょう、このよろこびの日のために、わたしは神さまにつかわされてまいりました。
  もう、いつ死が訪れても思いのこすことはございません」
   それは、ていねいな言葉は使てるけど、天使さまから伝えられた言葉とちゃう、
  うちの心のそこからわきだしてきた言葉でした。
  それだけ言うと、またあふれてきた涙のせいで、
  王さまのひざにおでこをあててわーわー泣きだしてしもたんです。 

   すると、頭のうしろが急にふわっとあたたかくなりました。
  王さまが、大きな手のひらで、うちの髪をそっとなでで下さってたんです。
  心臓が飛び上がりそうにドキッとした。
  顔を上げると、王さまはうちの目を見つめながら言わはりました。
  「そなたは祖国のため、よく尽くしてくれた。感謝している」
   いつもと変わらへん陰気っぽい顔で、ぶっきらぼうな調子やったけど、
  いつもとおんなじはずの碧(あお)い瞳の色が、とても明るくかがやいて見えた。
  きどってキリリと閉じてる口もとやのに、その時の王さまは笑(わ)ろてはりました。
  うちに話しかけてる心と瞳だけは、確かに、にっこりと笑ろてたんです。

   もう、しあわせでしあわせでたまらなくなって、
  涙を流したまま、うちもにっこりと笑いました。
  瞳の奥まで見つめ合っていられた、ほんの何秒かの短い時間が、
  うちにとっては永遠の安らぎの時間でした。
  大変やった今までの日々がウソみたいに思えた。

   あっという間に、たくさんの人びとがお祝いをいうために周りにおしよせてきて、
  うちは玉座の横のほうへはじきだされてしもた。
  さっきまで髪をなでてた王さまの指が、ゆっくりはなれていくのが……その手がしばらく
  こっちへさしだされたままになってたのが見えたとき、また新しい涙がこぼれました。

   おばあちゃん、どうか、うちを祝福してください。
  きょうは、うちの一生でたぶん一番の、晴れがましいよろこびの日です。
  そやのに、なんでかあれからずぅっと胸の奥が痛いねん。
  涙はもう流してへんけど、泣いてたときよりもだんだん胸の痛みはひどくなって、
  床にすわってぎゅっとひざをかかえても、おさまりません。

   おばあちゃん。これは天使さまがおしえてくれたんとちゃうけど、
  うち、なんとなく未来が見えるの。
  うちには、きょうよりしあわせな日は、もう来えへんのやってわかってしもてん。
  きょうの晴れがましい式典や、うちに笑いかけてくれはった王さまの明るい瞳は、
  きょうだけのしあわせ。 きっと、それがわかってしもたからやね、こんなに胸が痛いのは。
   でも、それでもうちは、また明日からも戦いつづけなあきません。
  この国から、よその国の軍ぜいをみんな追いはらうまでは、
  この国のみんなのしあわせは、まだ来てへんのやて思うから。
  なんもむずかしいことわかれへんけど、きょうが終着点でないことだけは、わかります。
  そして、いくさが続くということは、いつか、うちが負けるときがくるかもしれないことも。

  おばあちゃん、うちを見守ってください。
  死ぬのは怖いことないんよ。
  ただ、もうすぐ美しい過去になってまう、きょうのしあわせの中に、
  うちが逃げ帰ってしまわんように……勇気を持てるように、見守ってください。

≪タイトルページへ≫  ≪(3)にもどる≫  ≪(5)にすすむ≫