Libera Me

リベラ・メ
(われを許し給え)

試練と来るべき怒りにあわば、われ、おののき怖れん。

その日こそは怒りの日、

大いなる災いと苦しみの日なり。

 

   もう、おばあちゃんにおてがみを書くのも、今夜でおしまいです。
  これも、紙に書くこと出来へんから、ろうやの灰色のかべのほこりの上に、
  ゆびで書いています。そやからきっと、明日の朝には消えてまうけど、ええの。
  おばあちゃんなら、てがみが見えなくても読めるんやし、ほかの人には読まれたくないんやから。
  今夜は、イギリス軍のえらいさんも、いじわるな番兵たちも、誰もここへは来えへんはずやから、
  こうやっててがみが書けます。

   あした、うちもおばあちゃんのいらっしゃる天の国へ、のぼっていくことになりました。
  そっちの国の入り口まで、おばあちゃんに、迎えにきててほしいです。
  うちが迷いそうになってたら、大きな声で呼んでな。「こっちやでー」って。 

   うち、ちゃんと天の国に入れていただけるか、自信なくなってしまいました。
  このごろのうちは、ぜんぜん良い子とちゃうからです。
  食事のたびに、ろうやの入り口からわざわざ入ってきて、
  うちをこづいたりののしったりする番兵たち。
  「二度とイギリスに刃向かわぬと誓えば許してやろう」と言いにきたイギリスの将軍たち。
  そんな人たちが、何回もうちの前に現れて、いやなこと言うたびに、
  心の中でちゃんと考えを動かしてる歯車みたいなのが、
  ギシギシいうてはずれてしまいそうになります。
  もしパーンとはずれて飛んでしもたら、きっとうちはこう言うてまう。
  「あほんだら! おまえらなんか、地獄に落ちて、焼かれてまえ!」 

  ああ、どないしよう。こんなこと、心の中で思てるだけでも、大変な罪やよね、おばあちゃん。
  けど、どうしようもない。うちのまわりは、今ではもう、うちを憎んでいる人しかおらへんの。
  こんなところでずっと生きていたら、ぜったいいつか歯車がはずれてしまう。
  そやから、今はただ、早よぅ明日になってほしい。

   おばあちゃん、うち、死ぬことはなんも怖ないよ。
  けど、魔女といわれて、火あぶりにされて死ぬんは、いやや。
  つかまってすぐのころ、閉じ込められてた塔から逃げようとして落ちてしもたとき、
  いっそ死んでたら良かったんやって思う。そしたら、火あぶりにならずにすんだのに。

   敵方の人だけと違て、ほかの人たちのことも、うちはときどき憎んでしまいます。
  最後のいくさのとき、敵の大軍勢にひるんで逃げてしもた兵士たち。
  異端のぬれぎぬを着せられたとたん手のひらを返して冷たくなった町の人たち。

  それから……うちのことを見捨てた王さまのこと。
  王さま、なんで助けてくれへんのって思いながら、何度も泣きました。
  うち、あんなに王さまのために働いたのに。王さまのために祈ったのに。
  そりゃ、みんなのしあわせのために祈ってたんやけど、
  ふしあわせから一番しあわせに近づけたのは王さまやと思うもの。
  ちょっとくらい、うちのことも考えてくれるのが普通とちゃうん?

  そんなふうに、うらみがましく王さまのことを思てたときに、
  ろうやの粗末なベッドの足もとに、いつもの天使さまが来てくれはった。
  ドンレミイ村にいたころは、何人か違う天使さまのお姿も見たけど、
  村を出てからは、ほとんど同じ天使さまが、うちのところに来てくれはります。
  けどその夜は、天使さまのほほえみがいつもと違たんです。
  口もとは笑ろてるけど、目は笑ろてへん。
  なにかをあきらめたようなさびしい目ぇやった。

   天使さまのその目を見たとき、とつぜん胸の奥がズキンと痛なった。
  ものすごくびっくりしたときに心臓が飛びはねるような感じと、
  悲しくて涙が出そうなのが、いっしょにきたような痛みやった。

  うち、わかってん。
  天使さまが今のうちの心の中を見て、怒りをとおりこして笑うしかないくらい
  ガッカリしてはることが。
  うち、もうなんもかんも、どうでもよくなってしもて、
  天使さまの足もとにつっぷして泣き叫んだ。

  「天使さま、うちを助けて! うちを、村に帰して!」
  それを聞いて、天使さまは静かに尋ねました。
  「ジャンヌ、おまえは死ぬのが怖いのか?」
  「ちがいます。ほかの方法やったら、別に殺されるのは怖ないよ。
  でも、魔女として火あぶりにされたら、神さまの国に入れてもらわれへんのでしょう?」 
  泣きながら顔を上げたら、天使さまは、今度はいつものやさしい笑顔で、
  うちを見おろしていました。
  「そんなことはない。おまえは必ず神の御元に帰れるのだから、
  けっしてやけになってはいけない。どんなときでも、自分を正しい道へとみちびくのだよ」

   その言葉を聞いて、うち、やっと他人を憎むのをやめることができました。
  このろうやにいてるあいだ、いっぱい悪いこと考えてたさかい、そのこと神さまにほんまに
  許していただけるのか自信ないけど、おばあちゃん、やっぱり天の国で待っててください。
  あしたまでほんのちょっとのあいだやけど、最後のお祈りをします。

  みんなのしあわせをいのります。

≪タイトルページへ≫  ≪(5)にもどる≫  ≪(7)にすすむ≫